「球団初のノーヒッター、前年1勝からの開幕投手」
三輪 八郎(みわ はちろう)
「左の沢村」とも表現された速球とドロップが武器の投手。
1940年に弱冠19歳ながら先発投手として16勝をマーク。満州遠征中の8月3日の巨人戦では球団創設後初となるノーヒットノーランを達成する。
先発の柱として期待されるがその後2年は3勝しかできず。しかし人員不足もあり1943年に開幕投手に指名されるとシーズンを通して11勝と復活。東西対抗戦(のちのオールスター)にも選出された。同年応召のため退団。
1944年中国で戦死。享年22歳。
余談だが通算奪三振数は334である。
査定について
キャルアハイの1940年を中心に査定。
球速・・・速球だけでも当時の球界有数だったとのことで速めに。後述の理由もありここは多めに盛ってます。
コントロール・四球・・・四死球率はあまり良くない(4.45)。1943年は6点台まで悪化する。
変化球・・・ドロップのみ。とりあえず二球種にした。
ノビC・・・角度ある直球を投げていた一方で奪三振率が高くない(4.44)。この影響で三振が取れそうな青特は自重しています。
尻上がり・・・10完投のうち7つが完封と、0で抑えられればすいすいと投げる。ノーノー補正でもある。
球持ち○・・・ノビが上げられないのでその代わりとして。
内角攻め・・・速球で打たせて取るらしさを出すため。また前述のノーノーの巨人戦は川上・呉波以外はすべて右打者であるため刺さりやすい。(かといってクロスファイアで三振を取るタイプでもない)
野手能力・・・1943年に初本塁打を記録するなど打撃センスはそれなりにある。1941年には三塁打も。
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